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ロナウドの現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第157回】

強靭な肉体による圧倒的パワーが魅力のセンターバック、ロナウド。

チャージやタックルは非常に強烈であり、身長188センチ体重89キロの恵まれた体躯を生かして空中戦では無類の強さを発揮した。

1994年アメリカワールドカップにはブラジル代表として出場し、見事世界一に輝いた。

2シーズンプレーした清水エスパルスではロナウダン、ロボコップという愛称で親しまれた。

ロナウドのJリーグ入り前


ロナウドは1965年にブラジルのサンパウロに生まれた。

幼い頃から身体が大きかったロナウドは若くからその将来を嘱望され、1985年にサンパウロ州のリオプレトECでプロのキャリアをスタートさせた。

翌年の1986年には屈指の名門であるサンパウロFCからスカウトされ移籍を果たす。

1991年には看板選手であったリカルド・ローシャの移籍に伴い新たなDFリーダーとして期待された。

サンパウロでは1992年、1993年のリベルタドーレスカップ、インターコンチネンタルカップ優勝に貢献。この活躍を受けてブラジル代表にも選出された。

代表では既にロナウド・ルイス・ナザリオ・デ・リマがロナウドの登録名を使用していた為、登録名を「大きなロナウド」を意味する「ロナウダン」とした。

1993年シーズン終了後、Jリーグの清水エスパルスからオファーが届く。

翌年のアメリカワールドカップ出場を目指していたロナウドは移籍について悩むがエスパルスへの移籍を決断する。

ロナウドのJリーグ入り後

既に選手としてのピークを過ぎた有名外国人選手の加入が多い中、現役ブラジル代表という触れ込みで加入したロナウドは当時大きな注目を集めた。

屈強な身体からロボコップという愛称で呼ばれ、すぐにエスパルスのDFの柱として起用された。

1994年3月12日に行われた第1節横浜フリューゲルス戦でJリーグデビューを飾ると1-0での勝利に貢献。

第3節のベルマーレ平塚戦ではJリーグ初ゴールを記録した。

ロナウド、シジマール、トニーニョというブラジル人選手が躍動し新たに加入した永島昭浩や日本代表の澤登正朗長谷川健太堀池巧らの歯車が見事に噛み合い、1stステージ前半を1位で折り返す。

後半戦も連勝が続き、優勝も見えたが途中で4連敗を喫するなど失速しステージ2位で1stステージを終える。

ロナウドは1stステージ終了後、アメリカワールドカップに出場するブラジル代表に合流。

Jリーグからはその他に鹿島アントラーズのレオナルドが選出された。

28歳のロナウドはセンターバックの控えとしてメンバー入りし、試合に出場はしなかったもののワールドカップ優勝メンバーとなった。

2ndステージはレオン監督からリベリーノ監督になり、再出発を図ったが1stステージほどの躍進は見せられず6位という成績に終わった。

ロナウドはこのシーズンリーグ戦36試合に出場し3得点をマークした。

翌年の1995年も清水エスパルスでのプレーを選択。

開幕戦からスタメン出場を続けるも、第2節のサンフレッチェ広島戦での0-5での敗戦やFWジアス、マッサーロの加入などにより出場機会が減少。

リーグでは10試合の出場に留まり、このシーズン途中でエスパルスを退団した。

1995年にブラジルに帰国しCRフラメンゴに加入。2シーズンで44試合に出場し、1996年にはサンパウロリーグのベスト11に選出された。

その後はサントス、コリチーバ、ポンチ・プレッタでプレー。

2002年まで現在を続け、このシーズン限りで現役を引退した。

ロナウドの引退後と現在

ロナウドは引退後、2003年1月から2006年11月まで古巣であるポンチ・プレッタのフロントスタッフを務めた。

現在はブラジル国内でサッカー関連のコンサルタント業務を行なっている。

ロナウドはJリーグでもワールドクラスのパワーを遺憾無く発揮したが、利き足の左足に固執し過ぎてしまい、右足でのキックに精彩を欠いていた印象もある。

Jリーグでプレーしたシーズンは2シーズンと短かったものの鍛え抜かれた肉体とそのルックスから記憶に残っている方も多いだろう。

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