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モネールの現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第176回】

ゴール後のモネールダンスで一躍有名になったアルゼンチンDFモネール。

喜怒哀楽を前面に出しチームを盛り上げるムードメーカーとして知られるが、JSL時代はベストイレブンに輝き、スペインのアトレティコマドリードにも在籍していた事もある実力派。

横浜フリューゲルスではハードワークを厭わず左サイドバックとして積極的な攻撃参加を見せた。

185センチの長身と屈強な体格でハイボールに強かったモネールは空中戦でもその存在感を発揮。

通訳を介さずに日本語を話すほど勉強家としても知られ、その圧倒的な存在感と不思議な日本語は多くのファンを虜にした。

日本の心を持つアルゼンチン人、モネールに迫る。

モネールのJリーグ入り前


モネールは1967年にアルゼンチンのブエノスアイレス州にあるメルセデスに生まれた。

1986年、19歳の時にアルゼンチン1部リーグのCAサン・ロレンソ・デ・アルマグロでプロキャリアをスタートさせる。

モネールは加入2年目の1987-1988シーズンにロレンソはリーグ2位になる活躍を見せる。

モネールはロレンソに2シーズン在籍しリーグ戦28試合に出場した。

1988年のJSL開幕前に全日空サッカークラブ(後の横浜フリューゲルス)からオファーを受け来日する。

モネールが加入した全日空は1988-89シーズンのJSL1部では2位、翌1989-90シーズンでは3位の成績を収めた。

モネールは攻撃力のある左サイドバックとして活躍し、2年連続でJSLベストイレブンに輝いた。

1991-1992年シーズンからはスペインのアトレティコマドリードへ移籍する。

アトレティコではトップチームではなく下部チームであるアトレティコマドリードBでのプレーとなったが、2年間の在籍で34試合に出場した。

アトレティコではトップ昇格は叶わず、1993年のJリーグ開幕に併せて横浜フリューゲルスに加入する。

モネールのJリーグ入り後

左サイドバックとして出場したモネールは清水GK真田雅則のクリアボールを奪うと無人のゴールに左足で流し込みJリーグ初ゴールを決めた。

このゴールを決めた時に味方選手とお尻を合わせて踊るパフォーマンスが注目を集めた。

後にこのパフォーマンスは「モネールダンス」と呼ばれ、モネールは全国的に知名度を上げた。

サントリーシリーズ第9節のマリノス戦やNICOSシリーズ最終節のサンフレッチェ広島戦でもゴールを決めモネールダンスを披露している。

モネールはこのシーズン、左サイドバックの不動のレギュラーとして29試合に出場した。

続く1994年も横浜フリューゲルスでプレー。

モネールの他に、エドゥー 、バウベル、アマリージャという外国人選手がいた為、外国人枠3人というルール上常に出場というわけにはいかなかったが、出場した試合では薩川了洋大嶽直人岩井厚裕らとDFラインを形成。

大柄な体格ながら上下に献身的な動きを見せ、ゾーンプレスの一角を担った。

このシーズンは44試合中、31試合に出場するもこのシーズン限りでモネールはフリューゲルスを退団。アルゼンチンに帰国する。

1995年からはアルゼンチンリーグのアトレティコ・トゥクマンへ移籍。リーグ戦35試合に出場し3得点を挙げシーズンを通してレギュラーとして活躍した。

1996年からは同国のCAプラテンセ、サンタフェを渡り歩く。

1999年には同国のCAウラカンへ加入。3シーズンプレーするが2002年に退団。

2002年9月にJ2の横浜FCへ加入。実に8年ぶり、34歳での日本復帰となった。

横浜FCでは空中戦の強さを評価されるも、コンスタントに出場は出来ずリーグ戦11試合の出場に留まった。

モネールは2003年3月に現役を引退した。

モネールの引退後と現在

モネールは引退後、しばらくは日本に残り横浜FCのホームタウンプロジェクトチーフスタッフとなり、少年サッカーなど、サッカーの普及促進活動に務めた。

アルゼンチンに帰国後は不動産関係の企業経営や、日本人の若手選手のアルゼンチンサッカー留学に関するマネジメント補佐を行っている。

またバラエティ番組にも度々出演し、みなみワールドカップでは現地レポーターを日本語で務めた。

その流暢な日本語とユニークなキャラクターで今尚お茶の間の人気者となっている。

モネールといえば、モネールダンスや喜怒哀楽が激しいキャラクターが先行してしまいがちだが、積極的なオーバーラップやセットプレー時の空中戦の強さなどプレー面でも見所に溢れる選
手であった。

遠い異国の地からやってきたにもかかわらず、まだサッカー発展途上である日本をリスペクトし、底抜けに明るい性格で未だに日本サッカーに貢献し続けるモネール。

いつか彼がバラエティ番組で放った「日本の心を持ったアルゼンチン人」という言葉は強ち間違いではない。

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