浦和レッズが2011年にカタールのクラブへ電撃的に移籍したFWエジミウソンの代わりとなるべく獲得した大型FWデスポトヴィッチ。
身長185センチ、75キロの恵まれた体躯と加入前年のスペイン2部リーグで34試合で18得点を挙げた得点能力の高さを買われての獲得であった。
デスポトヴィッチは前線に張るタイプのセンターフォワードではなく、攻撃時はダイアゴナルランを繰り返しスペースを作り、守備時は前線からさぼらずに積極的にチェイスを繰り返す、チームの為に身体を張れるストライカーだった。
残念ながらJリーグでは輝かしい成績を残す事は出来なかったが、真面目な性格で知られ、サポーターを大切にするデスポトヴィッチはランコという愛称で親しまれ、受け入れてくれた浦和レッズを愛し、そして多くのレッズサポーターに愛された。
デスポトヴィッチのJリーグ入り前
デスポトヴィッチは1983年にセルビア・マチュヴァ郡ロズニツァに生まれた。
17歳の時にユーゴスラビア2部のFKロズニツァでデビューを果たす。
ロズニツァでは3シーズンプレーし、64試合に出場し24得点を挙げた。
その後2003年にセルビア・モンテンネグロのトップリーグFKヴォイヴォディナに移籍。
移籍した1年目はシーズン途中で期限付き移籍をするものの、2004年より2008年の1月までFKヴォイヴォディナでプレーをした。
2006-2007年シーズンは24試合に出場し17ゴールを挙げるなどヴォイヴォディナのエースとして活躍した。
2007年にはセルビア代表クレメンテ監督からセルビア代表に抜擢され、2007年11月24日、EURO2008予選のカザフスタン戦でセルビア代表デビューを果たした。
2008年にはルーマニアのブカレストを経てクレメンテ監督が就任したスペインリーグ2部のレアル・ムルシアに加入した。
その後、サラマンカにレンタル移籍を経て、2010-2011シーズンは同じくスペイン2部のジローナに所属して、34試合18ゴールをあげた。
2011年シーズン途中、浦和レッズはエースストライカーであるエジミウソンのカタールへの移籍を発表。
浦和レッズはエジミウソンに代わる、点を取れるストライカーの獲得を目指し豊富な国外移籍経験があり、結果も出していたデスポトヴィッチに白羽の矢を立てる。
だが、東日本大震災が起こった事もあり、外国人選手の放射能の影響不安による入団交渉難航が懸念された。
デスポトヴィッチにはセルビアの強豪チームであるレッドスターからのオファーも届いていたがそれを断り日本行きを決意。
2011年6月末、デスポトヴィッチは浦和への移籍を決断。
入団会見では「日本に来るに当たり、震災への不安はない。少しでも長く日本でプレーしたい。」と話し多くのサポーターの心を掴んだ。
デスポトヴィッチのJリーグ入り後
デスポトヴィッチは7月17日に行われたJ1第5節のジュビロ磐田戦で浦和での公式戦デビューを飾った。
その後もリーグ戦ではなかなかゴールを決める事は出来なかったが、7月27日にNDソフトスタジアム山形で行われたナビスコカップ1回戦・第2戦のモンテディオ山形戦で、エスクデロ・セルヒオからのパスを右足で合わせ、浦和での公式戦初ゴールを決める。
なおデスポトヴィッチはこの年のナビスコカップでは合計4得点を挙げナビスコカップ得点王となった。
リーグ戦では14試合に出場するもノーゴールに終わった。
2012年シーズン、開幕戦は途中出場だったもの2戦目の柏レイソル戦には1トップでスタメン出場を果たす。
すると前半36分、柏レイソルDFのジョルジワグネルからボールを奪うと左足で振り抜き待望のJリーグ初ゴールを挙げた。
執拗なチェイスを繰り返し行い、少ないチャンスを確実に決めたデスポトヴィッチのゴールは決勝点となり1-0の勝利に貢献した。
その後はナビスコ杯では得点を挙げたものの、リーグ戦ではノーゴールに終わる。
翌年の2013年シーズンは腰痛のため試合出場はなく、5月26日に6月末で契約満了により退団すると発表された。
デスポトヴィッチのJリーグへの挑戦は2シーズン半の在籍でリーグ戦25試合に出場し1得点に終わった。
デスポトヴィッチの浦和レッズ退団後
浦和レッズを退団したデスポトヴィッチは2013-2014シーズンをオーストラリアのシドニーFCで過ごす。
イタリアの英雄デルピエロと共にプレーし、17試合に出場し6得点を挙げた。
その後はスペインのデポルティーボ・アラベスに移籍。
2016年には同じくスペインのカディスCFに移籍するも無得点に終わった。
同年8月17日にセグンダ・ディビシオンBのマルベージャFCへ加入。
15試合に出場し4得点を挙げたが、同年末にクラブを退団し現在は無所属となっている。
デスポトヴィッチは非常に真面目な性格で知られた。
GMと食事にいった際もアルコールは飲まず、珈琲もカフェインが入っているからと口にしなかった程である。
退団スピーチでデスポトヴィッチは
「浦和も日本も非常に好き。また、いつか帰って来ることが出来たら嬉しい。皆さん、笑顔でいてください。」
と語り、浦和サポーターからは惜しみない拍手が送られた。
残念ながら得点数という目に見える結果は残せなかったデスポトヴィッチだったが、献身的な守備や身体を張ったポストプレーでチームに貢献した。
デスポトヴィッチのプレーは記録には残らないかもしれないが、チームの為に懸命に戦い抜いたひとつひとつの魂のこもった熱いプレーはいつまでもレッズサポーターの記憶に残り続ける。