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エドゥーの現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第178回】

左足から蹴り放たれたボールはジュビロ磐田にとってまるで悪夢のような軌道を描いてゴールに突き刺さった。

あれから26年以上経った今も、エドゥーの放ったフリーキックは伝説として語り継がれている。

エドゥー自ら「10年に1度あるかないかのゴール」と称した伝説のフリーキックから1週間後のベルマーレ平塚戦。

またも同じような距離からフリーキックを決めて見せたエドゥー。

その左足には奇跡を起こす魔法がかかっていた。

エドゥーのJリーグ入り前


エドゥーは1963年にブラジルのサンパウロに生まれた。

1984年、エドゥーが21歳の時に地元のサンパウロに本拠地を置くポルトゥゲーザでプロキャリアをスタートさせた。

1985年にポルトゥゲーザはサンパウロ州選手権で準優勝を果たすがエドゥーはその中心人物だった。同じクラブには現ブラジル代表監督を務めるチッチや後に清水エスパルスなどで活躍するトニーニョらがいた。

1987年、エドゥーはブラジル代表に選出され背番号10を背負う。ドゥンガやジョルジーニョらと、コパ・アメリカ、ソウルオリンピック予選を戦うブラジル代表のレギュラーメンバーとして戦ったがコパ・アメリカではグループリーグ敗退という屈辱を味わった。

エドゥー は1988-89シーズンより2年契約でイタリアのトリノに移籍するもこの年トリノはセリエA15位となりクラブ史上2度目のセリエB降格となり、エドゥー はポルトガルのFCポルトへ移籍。ヨーロッパでの戦いを続けた。エドゥーが加入した1989-1990シーズン、FCポルトはポルトガルリーグ1部優勝を果たした。

1990年、エドゥー はフラメンゴに移籍し、ジーコがつけていた背番号10を引き継いだ。

その後、サントスFC、SEパルメイラスとブラジル国内の名門クラブを渡り歩いた。

そして1993年、Jリーグ開幕を前に司令塔としてチームの核になれる選手を探していた横浜フリューゲルスからオファーを受けたエドゥーはシーズン開幕前にフリューゲルスに加入する。

エドゥーのJリーグ入り後

フリューゲルスに加入したエドゥーは1993年5月16日の清水エスパルス戦で背番号10を背負い先発出場を果たし、先制点の起点となるなど活躍し3-2の勝利に貢献。

続く第2節の鹿島アントラーズ戦ではさっそくJリーグ初ゴールをマークした。

フリューゲルスは加茂周監督の元、積極的にプレッシャーをかけチェックに行く戦術であるゾーンプレスを採用するがエドゥーはこの攻撃力な戦術の中心人物として君臨した。

エドゥーは1993年シーズンはリーグ戦30試合に出場し6ゴールを決めた。またJリーグトップの131シュートを放つなどゲームメイクだけでなくゴールへの貪欲さを見せた。

続く1994年シーズンも開幕からフリューゲルスの司令塔として活躍。

ドリブルでダイアゴナルに状況を打破できる前園真聖と長短のパスを散らしながらスペースを作るエドゥーの中盤でのゲームメイクは創造性に溢れ、FWのアマリージャ、バウベルの強力な2トップもエドゥーのゲームメイクで躍動した。

そして1994年4月2日のJリーグ第6節、横浜フリューゲルス対ジュビロ磐田であの伝説のフリーキックが生まれる。

後半17分。ゴールまでの距離は推定40メートル。誰も直接狙わないだろうと思われたが、エドゥーは斜めに助走をとると勢いよく左足を振り抜いた。

ボールは悪夢のような放物線を描き、ジュビロ磐田の元日本代表GK森下申一の伸ばした右手を超え角度を急降下し、ゴールポストにガツンと当たってゴールマウスに吸い込まれた。

後年、エドゥーはこのゴールを解説する時、蹴る瞬間に突風が吹いたと語っている。

突風に乗って放たれたボールは誰も予想できない急カーブを描いた。試合はこのゴールが決勝点となりフリューゲルスが2-1で勝利を収めている。

そしてその伝説のフリーキックから1週間後の第8節ベルマーレ平塚戦。

またもや同じような距離でフリーキックを得たエドゥーは今度はアウトサイドでゴールを狙った。

1週間前のジュビロ磐田戦でのインカーブフリーキックのイメージが残っていたベルマーレ平塚の日本代表GK小島伸幸はファーサイドを気にしていたがその逆をつくシュートだった。

アウトサイドで強烈なインパクトを与えられたボールは小島伸幸の伸ばした手から逃げるような回転を見せ、ゴールネットを揺らした。

この試合もエドゥーの2ゴールもあり4-1でフリューゲルスが勝利している。

このシーズン、エドゥーはリーグ戦37試合に出場し12得点を挙げた。

しかしフリューゲルスの成績は上向かず1993年は7位、1994年も7位に沈む。

エドゥーは契約延長とはならず、この年限りでフリューゲルスを退団した。

その後、1995年にはウルグアイのナシオナル、1996年からはブラジルの国内クラブを転々とし、1997年シーズンを持って現役を引退した。

エドゥーの引退後と現在

エドゥーは引退後、ブラジルのクラブで指導者を務めている。

2002年、ポルトゥゲーザのジュニオール監督としてコパ・サンパウロ・ジュニオールに優勝すると、2005年にはジュベントスでサンパウロ州選手権セリエA2(2部)に優勝している。

2012年末からはポルトゲーザ・サンチスタのフットボールダイレクターに就任している。

エドゥーはインタビューで将来、日本で指導者の道を歩みたいと語っている。

横浜FCに、フリューゲルスでプレーした自身の経験と伝統を受け継ぎたいと話す。

エドゥーが将来、Jリーグで監督となる日が来ればまたあの伝説のフリーキックが脚光を浴びるだろう。

どれほど長い年月が経ち、所属したチームが消滅してしまっているとしてもあの伝説のフリーキックは色褪せる事はない。

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